当初10月25日に予定されていた一戦から5週間を経て、フレイザー・クラークとジーミー・TKVは、今週末にダービーで
空位の英国ヘビー級王座を懸けて、ついに対峙する。
オリンピック銅メダリストの
クラーク(9勝1敗1分、7KO)は、試合前オッズ(-500)が示す通り圧倒的有利と見られており、その理由は一つではない。
先月行われた初の記者会見において、34歳のクラークは、多くの同世代が触れたがらないであろうキャリアの屈辱的な一章を振り返る際にも、一切ためらいを見せなかった。
「最初の試合はクラシックだった。2戦目は完全に打ちのめされた」と彼は語った。「英国王座を獲れるかもしれないという高揚感から、一ラウンドで粉砕される現実へと一気に突き落とされる。まさに極端な振れ幅だが、大事なのは、どん底からどう立ち上がるかだ」
多くの関係者は、両者の初戦においてクラークが接戦をものにしたと見ていた。しかし、第7ラウンドに繰り返しのローブローによる減点を受けたことが、採点上で致命的な結果を招いた。
その7か月後に訪れた、ウォードリーによる衝撃的な初回KO勝利を予想できた者はほとんどいなかった。特に、12ラウンドに及ぶ激しい打ち合いとなった初戦を経ていた後だけに、その衝撃はなおさらであった。クラークの無敗記録は無残に断ち切られ、振り返ってみれば、プロモーターのベン・シャロム(BOXXER)が当初、このカードを早期に実現させることに慎重だった理由も、より正当なものとして受け止められるようになった。
同夜、リヤドでその試合を取材していた英国人記者たちは、アルツール・ベテルビエフ対ドミトリー・ビボルがメインを務めた興行が進行する中、クラークの容体について必死に情報を追い求めていた。迅速な処置と医療対応がなければ、後遺症はさらに深刻なものとなっていた可能性もあった。
顎の骨折による手術から、わずか3か月足らずで本格的なトレーニング復帰の許可が下り、そこからゆっくりとした再建の道のりが始まった。では、あの凄惨な敗北を受け入れるまでに、どれほどの時間を要したのだろうか。
「すぐにだ。最初のショックが薄れた後は、自分のミスを見つめ直すだけだ。何を間違えたのかは分かっている。あとはそれを修正するかどうか、それだけの話だ」とクラークは
『ザ・リング・マガジン』に語っている。
「少しずつジムに戻り、何か月も何か月も繰り返しドリルに打ち込んで、二度と同じことが起きないように修正してきた。それがファイターとしての仕事だ。常に学び続け、規律を保ち、自分の強みを信じながらも努力を怠らない。今こそそれを示す時だ」
クラークは良くも悪くも“試合活動への執念”を燃やし続けてきたが、4月に行われたエベネザー・テテー戦(
ベン・ウィテカー対リアム・キャメロンIIのアンダーカード)での1ラウンドKO勝利は、内容的には何一つ新しい材料を与えるものではなかった。
それから7か月後、彼はオリンピック・メダリストのチームメイトと同じ夜に再びリングへと戻ってくる。ただし今回は、異なるプロモーションによる別々の興行のメインイベントである。最近ではBOXXERやシャロムの元を去る選手も出ている中、クラーク自身も移籍は容易であったはずだが、批判の多いトレーナー、エンゼル・フェルナンデスに示してきた忠誠心は、そのままプロ転向時に自らと契約を結んだ人物への忠誠にも通じている。
「とにかく試合がしたくて、人に怒鳴り散らしたこともある。これは俺の生業なんだ」と彼は言う。「ジムへ行くこと自体は苦じゃない。むしろ好きだ。だが、トンネルの先に光が見えない状態で努力を続けるのは、肉体的にも精神的にも本当にきつい。犠牲も少なくない。
それでも粘り強く働きかけ続けた結果、ようやく欲しかったものを手に入れた。それが、今ここにある」
次に来る質問を察したかのように、彼は先回りして自身のコーチを擁護した。
「アンヘルは教育者だ」とクラークは続ける。「厳しいが、リチャード(リアクポー)がジムを去ってからは、彼と過ごす時間が格段に増えた。どんな競技でも、選手とコーチの関係はそんなものだ。彼は俺を徹底的に鍛え上げる。評判はあまり良くないかもしれないが、優れた指導者であることは間違いない。そうでなければ、今も一緒にやってはいない」
「この業界に長く身を置いてきた俺には、良いコーチと悪いコーチの違いくらい分かる。彼にも欠点はある。誰にでもあることだ。ただ、彼自身も学び続け、非常に知識が豊富な指導者だ。敗北したからといって、すぐにトレーナーを替える話ではない。内省し、自己批判することが大切だ。ファビオとの2戦目で起きたことは、誰の責任でもなく、すべて俺自身の問題だ」
では、フェルナンデスの“優秀さ”とは何なのか。
「物事を細かく分解して教えるのが、とにかくうまい。新しい技術も、メンタルの部分もそうだ。人間関係というのは……他人には理解できないことも多い」と彼は言う。「理解されなくてもいい。俺自身が理解していれば、それで十分だ。ボクシング界は噂話や中傷が絶えない場所だが、俺たちはただ自分たちの仕事をしているだけだと言っておく」
カメラの外では陽気な一面を見せるクラークだが、トッテナムの
チシケヴァ(8勝2敗、5KO)は、3年前にジェイク・ダーネル戦をリングサイドで観戦していた際に、自分が「踏み台」と見なされたことに今なお憤りを抱き、あえて攻撃的な姿勢を貫いている。
クラークは、名誉あるロンズデール・ベルトの獲得だけが最終目標ではないことを、これまでも率直に語ってきた。もしそれだけが目的であれば、彼はすでに競技を続けてはいなかったであろう。
34歳となった今もこのレベルに留まり続ける一方で、かつての対戦相手であるデイブ・アレンのように、世界戦のチャンスを掴む者も出てきている。その現実を、彼はどのように受け止めているのか。
「彼のことを踏み台だと思ったことは一度もない。ただの冗談めいた発言だった」とクラークは認める。
「数日前に『ゆっくり進むことこそが、最速で成功する道だ』という言葉を目にした。本当にその通りだと思う。すべてが旅の一部なんだ。俺は今、来るべき時に、来るべき場所へ辿り着いている。試練も苦難も、この人生には付きものだ。浮き沈みは必ずある。それでも、苦しい時に踏ん張り、前へ進み続ける。それしかできることはない」