イギリスの個性派ヘビー級ボクサー、
デイブ・アレンとの30分にわたる会話の中盤あたりで、彼は自身の波乱万丈なキャリアをぴたりと言い表す言葉を見つけた。
「ボクシングなんて大嫌いだ」とアレンは冗談めかすことなく言う。「でも、本当に大好きなんだ。」
33歳となった“ホワイト・ライノ”こと“ドンカスターのデ・ラ・ホーヤ”デイブ・アレンは、再び想像もできなかったような人生を目前にしている。土曜夜、シェフィールド・アリーナで
アレンはロシアの強豪アルスランベク・マフムドフと12ラウンド戦う予定だが、誰もその試合が最後まで続くとは思っていない。もしアレンが勝利すれば、次戦では
デオンテイ・ワイルダーとの高額マッチが噂されている。
アルスランベク・マフムドフ(20勝2敗、19KO)はかつて世界タイトルを狙える本格的なコンテンダーと見なされていたが、
アギット・カバエルとグイド・ヴィアネッロに喫した2度の敗北で、その評価はやや傷ついた。それでも身長198センチのロシア人は、依然としてこの階級で破壊的な存在であり続けている。
実は、対戦相手を選んだのはアレン自身だった。プロモーターの
エディ・ハーンがシェフィールドでのメインイベントに向けて数名の候補リストを提示し、その中から好きな相手を選ぶよう彼に伝えたのだ。アレンがあえてマフムドフを選んだのは、自分が最も恐れている相手だったからだ。だからこそ、最も厳しいトレーニングに自分を追い込めると考えた。だが試合が近づくにつれ、その決断を少し後悔し始めている。
「土曜日が怖くてたまらない」と彼は言う。「本当に怖いんだ。」
「楽しみだなんてとても言えないし、自信満々で臨むなんてことも言えない。俺は現実主義者だからね。」
「エディと一緒に座って“マフムドフと戦おう”と決めたときは、嬉しくてたまらなかったし、みんなもこの相手に喜ぶだろうと思っていた。でも今こうして試合が近づくにつれ、『なんであいつを選んじまったんだ?』って思ってるよ。」
「なんでそんなこと言うんだとか、なんでそんな本音を人に話すんだとか思う人もいるかもしれないけど、これが正直な気持ちなんだ。すごく緊張してる。いや、本当にめちゃくちゃ緊張してるんだ。」
アレンをよく知らない人がこれらの発言を読むと、試合週恒例の心理戦だと受け取るかもしれない。だが実際には、彼はただ自分の正直な気持ちを口にしているだけだ。もっとも、ひとつだけ注意点がある。「このインタビューを4時間前にしていたら、まったく違う俺が話していたかもしれないよ。」
代わりに、アレンは試合週の火曜日、マフムドフと初めて直接顔を合わせる数時間前にこう語った。「アイツがそんなにデカくなきゃいいんだけどな」とアレンは冗談めかして言った。
アレンにとって火曜日は昔から特別な日だった。子どもの頃、家族の食事を確保するためにヨークシャーの田舎でウサギを捕まえる目的で学校を一日休んでいたという。「祖父はスタン・バックリーっていう友達を連れてよくうちに来てたんだ」とアレンは振り返る。「スタン・バックリーは今も健在で、もう93歳になる。」
「その二人と俺と親父で出かけてた。火曜日は学校を休んで、ネットとフェレットを持ってウサギ狩りに行くんだ。そうやってウサギを捕まえてたんだよ。」
「でも親父はいつも俺にがっかりしてた。自分でウサギを殺そうとしなかったからだ。怖かったんだよ、ネットの中で丸まったウサギが引っかいたりするから。どうしてもできなかった。でも親父は“お前がやれ”って言ってた。親父は俺がボクサーになるなんて思ってなかった。子どもの頃の俺は本当に気が優しかったからね。生き物を殺すなんて絶対にしたくなかったんだ。」
あれから20年以上が経ち、かつてプロボクサーだった父の予想は見事に外れた。だがその道のりは決して平坦ではなかった。
2019年7月、ロンドンのO2アリーナでルーカス・ブラウンを印象的なTKOで下してからわずか3か月後、アレンはデビッド・プライスとの対戦を控えていた。マフムドフ同様、リバプール出身のプライスも将来を嘱望された強打者だったが、いくつかの大きな敗戦により打たれ弱さへの疑問が浮上していた。
アレンは、この試合に勝てばキャリアを次の段階へ押し上げるチャンスが開け、すでにアレクサンダー・ポベトキンとの高額マッチも合意していたことを理解していた。だが、そのキャリア最大の一戦を前にして、状況は大きく狂い始めた。
「あの時期は本当に最悪だった」とアレンは語る。「試合の4〜5週間前から姿を消してたんだ。」
「ちょうど家を買ったばかりで、マットレスは丸めたまま。ベッドを組み立てられなかったから、床で寝てた。一日中床に寝転がってテレビを見て、日に一度フィッシュ&チップスの店に行って、それがその日の唯一の食事だった。」
「今振り返ると、本当に狂ってたと思う。あんなバカなことをしてたなんて信じられないよ。」
アレンはプライスとの壮絶な打ち合いの末、10回で敗れた。試合後には眼窩骨折と舌の重傷で入院することになった。だが、今回のキャンプの最後の4〜5週間は、あのときとはまったく異なるものとなっている。ジェイミー・ムーアとナイジェル・トラビスの厳しい指導のもと、アレンは人生最高のコンディションを作り上げた。2019年当時とは対照的に、今の彼にはパートナーと二人の子どもがいて、戦う理由がより明確になっている。
「31か32になるまで普通の人生なんて送ったことがなかった」と彼は言い加えた。「その頃になってようやく少し落ち着いて、まともになり始めたんだ。今でもみんな俺のことを“イカれてる”って思ってるけど、俺はちょっと変わってるだけさ。少し風変わりなだけなんだ。」
「でも今回のキャンプでも、ジェイミーがいなかったら途中で家に帰ってまたおかしくなってたと思う。自分で全部ぶち壊したくなることが何度もあったけど、今回はやらなかった。それが俺という人間なんだ。そういう性分で、そしてそれを愛してるんだ。」
「昔はすぐに道を外してばかりだった。本当にひどかったよ。でも今はもうそんなことできない。もしまたやったら、彼女は俺のもとを去るだろう。間違いなくね。そのことを分かっているっていうのが、多分ずっと俺に必要だったことなんだと思う。」
アレンはジョニー・フィッシャーとの2連戦を経て、このキャリアを左右する大一番の切符を手にした。初戦では物議を醸すスプリット・デシジョンで敗れたが、5月の再戦で
ロムフォード・ブルを5ラウンド以内にストップし、見事に雪辱を果たした。
アレン自身、フィッシャーとの試合を「宝くじに当たったようなもの」と表現している。再起のチャンスを、自信を持って倒せると感じていた相手との試合で手にしたからだ。しかし、その表現はデイブ・アレンという男の物語に刻まれてきた壮絶な忍耐の重みを過小評価している。そこには、広く知られるギャンブル依存や自殺願望との闘いがあった。
「俺はすごく繊細なんだ」とアレンは続ける。「それを人に話すことにも全然抵抗はない。20代の頃、ひどい時期を何度も乗り越えられたのは本当に運が良かったと思う。あのときの気持ちや状況を正直に振り返ると、もしかしたらあのまま抜け出せなかったかもしれない。」
「大げさに言いたくはないけど、今こうして生きていられるのは本当に幸運だと思う。振り返っても、あの頃の自分がどんな人間だったのかもう覚えていない。その頃のことを話すのは辛い。時々、自分でもあの頃の俺をまったく知らない他人のように感じるんだ。」
「俺は本当に変わってる人間なんだ。いつも同じことばかりしてるし、最近はAI音楽ばかり聴いてる。それにハマってるんだ。ちょっと変な奴だけど、今の人生は悪くないし、満足してるよ。」
アレンが話を終えてから数時間後、ついにマフムドフと対面する瞬間が訪れた。思わず笑みを浮かべた彼はロシア人の彼に声をかける。「ハロー。君の英語、俺の……えーと、何語だっけ?よりずっと上手いな。」
デイブ・アレン――唯一無二の存在だ。