「セカンド・トゥ」ことマイケル・ナンが国際ボクシング殿堂入りを果たし、長きにわたる待望の時がついに終わりを迎えた。
ナンは、2025年クラスの一員として、ニューヨーク州カナストータにある国際ボクシング殿堂に殿堂入りする。同クラスには、
マニー・パッキャオ、ヴィニー・パズ、メアリー・ジョー・ソーンダース、イェッシカ・チャベス、アン・ソフィー・マティスも名を連ねている。
「本当に長い時間がかかったよ」とナンは
「ザ・リング・マガジン」に語った。「ここにいられること、そして歴代の偉大なレジェンドたち、そしてこれから現れるであろう選手たちと共に歴史の一部になれることに、ただただ感謝している」。
マイケル・ナン(58勝4敗, 38KO)は、ミドル級とスーパーミドル級で世界王座を獲得した元2階級制覇王者。1988年7月28日、ラスベガスのシーザーズ・パレスで行われた試合で、当時のIBFミドル級王者フランク・テイトを9回ストップで下し、初の世界タイトルを手にした。 この勝利により、ナンはアイオワ州ダベンポート出身として初の世界王者となった。地元に凱旋した際にはパレードが開催され、英雄として熱烈な歓迎を受けた。
「俺たちの街には、それまで世界チャンピオンのボクサーはいなかったんだ」とナンは語った。「俺が最初だったから、あの瞬間はまさに伝説的だった。心から嬉しかったよ……努力、献身、集中、信念、そして努力を惜しまない姿勢と、いい人たちに囲まれること。そういう姿を子どもたちに見せられたのは大きな誇りだった。俺は本当に素晴らしい人たちに恵まれたんだ」。
ナンの王者としての戦いぶりは、パウンド・フォー・パウンドでもトップクラスと評価されるに至った。5度の防衛に成功し、その中には1989年に「ザ・リング・マガジン」の「年間ノックアウト賞」に選ばれたスンブ・カランバイ戦の初回KO勝利も含まれている。この防衛期間中には、元世界王者のアイラン・バークレーとマーロン・スターリングにマジョリティ・デシジョンで勝利し、元ウェルター級世界王者ドナルド・カリーを10回KOで下している。
「アイラン・バークレーには2ラウンドでめちゃくちゃ強いパンチをもらって、トレーナーに『もう100万ドルくれよ、家に帰る』って言ったんだ」とナンは語った。「でも、偉大なトレーナーっていうのは、ある意味で精神科医みたいなもんなんだよ。ジョー・グーセンは俺にこう言ったんだ――『だからこそお前はチャンピオンなんだ。やるべきことをやりに行け』ってね」。
「ボクシングでは絶対に打たれる。誰であろうと、ボディでもアゴでも、その圧力は感じることになる。そのときに必要なのが、トレーナーの指導なんだ。圧力を感じたときに、それにどう耐えて乗り越えるか――それがすべてなんだよ」。
ナンは36戦無敗のまま、1990年10月18日に当時無敗の22歳で、後に殿堂入りを果たすジェームス・トニーと対戦した。ナンは3人のジャッジ全員のスコアカードでリードしていたが、トニーが11回に逆転のストップ勝ちを収め、ナンから王座を奪取。ナンにとってはキャリア初の黒星となった。
ナンは168ポンド級に階級を上げ、1992年9月12日にビクター・コルドバにスプリット・デシジョンで勝利し、WBAスーパーミドル級王座を獲得した。その後4度の防衛に成功し、その中には再びコルドバとの判定勝ちも含まれている。アイオワ州ダベンポート出身のナンは、スティーブ・リトルとのスプリット・デシジョンによって王座を失い、それ以降キャリアの中で再び世界王座を手にすることはなかった。
2002年8月6日、ナンの人生は大きく転換する。政府の情報提供者だったとされる人物との麻薬取引に関与し、コカインを購入したとして逮捕されたのだ。元2階級制覇王者のナンには当初24年の禁錮刑が言い渡されたが、模範囚としての振る舞いが認められ、16年6か月後の2019年2月6日に釈放された。釈放後には5年間の保護観察処分が課された。
もし満期まで服役していたとすれば、2024年12月19日に釈放される予定だったとナンは語った。
「人生は続いていくし、俺は歩みを止めない」とナンは語った。「倒されたけど、立ち上がった。そして戻ってきた。今度はもっと強く、もっと声を上げて闘う。でも、それを前向きな形でやっていくつもりだ」。
服役中、ナンは3度の喧嘩に巻き込まれたという。2階級で世界タイトルを獲得し、殿堂入りを果たすボクサーが相手となれば、その結果は想像に難くない。
「全部ワンパンKOだったよ」とナンは語った。
現在ナンは、ボクシング界に恩返しをしながら関わり続けようとしており、地域社会の恵まれない子どもたちを支援するアメリカン・ボクシング・アソシエーション(ABA)への参加も目指している。