マイケル・ムーラーの名は、モハメド・アリやジョー・フレージャーとの因縁と並び、故二度の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンのレガシーに刻まれている。
1977年から1987年まで現役を退いていたフォアマンは、復帰後の集大成として1994年11月5日、当時無敗のムーラーを劇的な逆転ノックアウトで下し、IBF世界ヘビー級王座を奪取した。このとき45歳という年齢で、ヘビー級史上最年長での王座戴冠という偉業を成し遂げた。この記録はいまだ破られていない。この勝利により、フォアマンの名声と商品価値はさらに高まり、まさに別次元の存在となった。
フォアマンは金曜日、76歳で逝去した。リング内外で伝説的存在だった彼の死に、
世界中のボクシング界から追悼の声が寄せられている。
「彼はとても誠実で、非凡で、信心深く、精神的に深みのある人物だった」とムーラーは『ザ・リング』のインタビューで語った。「彼は人々に影響を与え、耳を傾けさせる力を持っていた。ボクサーたちにとって良き模範であり、発言も的確で、試合を理解していた。みんなが彼の言葉に注目していたし、俺もその一人。ビッグ・ジョージ・フォアマンと同じ時代を過ごせたことに感謝している。彼のレガシーは、彼の子どもたちを通じてこれからも受け継がれていくだろう。」
ムーラーは、1994年の対戦以降、約30年にわたりフォアマンと親交を深め、非公開の場で幾度となく会話を重ねてきたという。
二人が最後に顔を合わせたのは、2023年4月26日。ムーラーがフロリダの自宅からロサンゼルスへ飛び、ソニー・ピクチャーズ制作によるフォアマンの伝記映画のプレミア上映に出席したときだった。
「試合がいかに素晴らしかったかについて話したよ」とムーラー。「あのとき交わした会話を思い出すことは、俺にとって大事なことになる……あの試合について何度思い返しても、気にはならない。1994年当時、俺は世界ヘビー級王者として絶好調だった。無敵だと感じていたし、キャリアの絶頂だった。ボクサーなら誰もが憧れる場所にいたんだ。『この年寄りにやられるわけがない。絶対にありえない』という気持ちだった。」
当時、ムーラーはフォアマンよりおよそ19歳若く、無敗の戦績を誇る初のサウスポー世界ヘビー級王者だった。前戦ではイベンダー・ホリフィールドを僅差で下して王座を獲得したばかりだった。
試合では、ムーラーが9ラウンドにわたりジャブを軸に主導権を掌握していた。スコアカードでは88–83、88–83、86–85と大きくリードしていた。しかし、目を腫らしながらも粘り強く前進していたフォアマンが、10ラウンドに強烈な右ショートを叩き込み、ムーラーは背中からキャンバスに沈んだ。
このフォアマンの216発目のパンチは、ムーラーにとって耐え切れない一撃となり、10ラウンド2分3秒で10カウント。試合は終了した。
「それまでは上手く試合を運んでいた。でも、あの一発をもらって終わった。彼は運が良かった。それがすべてだった。あれは起こるべくして起こったことだった」とムーラーは語る。
「あの試合は、ボクシング史上最大級の番狂わせのひとつだ。あれほどまでに信じがたい逆転劇は他にない。ジョージは9ラウンド半も打ち込まれ続けて、それでも最後にノックアウトするだけの力を振り絞った。そして、あの一戦が歴史となった。」
時を経て、フォアマンはこう明かしている。
「誰も気づかなかったが、俺は一晩中ずっと仕掛けを作っていた。試合前に、マイケル・ムーラーを倒す夢を見ていたんだ。」
フォアマンは、1974年の「ジャングルの戦い」でモハメド・アリに敗れた際に着ていた赤いトランクスを再び身にまとい、リングに上がっていた。ムーラー戦での勝利は、『ザ・リング』誌の年間ノックアウト賞に選出され、同年のカムバック・オブ・ザ・イヤー賞も受賞している。
「『あれが人生で一番強烈に効いたパンチだったのか?』ってよく聞かれるけど、そうじゃない。ただ、あれは最も正確なパンチだった。それだけさ」とムーラーは語る。
ムーラーはヘビー級だけでなく、1988年にはライトヘビー級でも世界王座を獲得した。通算戦績は52勝(40KO)4敗1分。1997年にはホリフィールドとの再戦で王座を失ったが、それまでは二度目のヘビー級王者としても活躍していた。
一方のフォアマンは、ムーラー戦後もアクセル・シュルツ、クロフォード・グリムズリー、ルー・サバレッセらに勝利した。1997年にシャノン・ブリッグスとの接戦を判定で落とし、引退を迎えた。
引退後のムーラーは、私立探偵やNRA認定の銃器インストラクターとして活動し、一般人向けにボクシングの基礎も教えていた。
2023年、ムーラー(当時57歳)は国際ボクシング殿堂入りを果たし、ニューヨーク州カナストータで行われた式典では、ボクサーの医療保険制度改革を訴えた。自身は保険の恩恵をほとんど受けられず、これまで28回もの手術を受け、嗅覚と味覚を失っているという。
キャリア最悪の敗北のあとも、“ダブルM”ことムーラーは、全世界で数億人が愛用したジョージ・フォアマングリルのユーザーだった。
「もちろん、何度も使ってたよ。店で買ってね。屋内用と屋外用、両方持ってた。成功している人を応援するのに、恥ずかしさなんてないよ。今もどこかにあるはず……あれはもう立派な記念品だね」と、かつては強面だったムーラーも笑顔を見せながら語った。
フォアマンはムーラー戦後の世界的な名声を追い風に、グリル事業を1億3,750万ドル(約200億円)で売却し、自身の名前を永続的に使用する契約を締結している。
テレビ通販の裏側では、自身が設立したユースセンターの存続のために現役復帰を果たしたように、彼は匿名で多額の寄付を慈善団体に続けていた。
「ジョージは大きな存在だった。多くの人が彼を尊敬していた。彼の言葉には重みがあった。信仰を持ち、人々に人生の意味を伝えようとしていた。自らを変え、より良い人間となった。その物語は多くの人の心を打った。だが、時が来れば、人は逝く。神が彼に特別な計画を用意していたのだと思う。俺は、その一部でいられたことを、心から誇りに思っている。」
ザ・リング主任記者Manouk Akopyan。X・Instagram:@ManoukAkopyan。