編集部注:本記事は2014年10月号の「ザ・リング・マガジン」に掲載されたものだ。ハットンは10の主要カテゴリーにおいて、自身が対戦した最強の相手について「ザ・リング・マガジン」に語った。
リッキー・ハットンは、ジュニアウェルター級とウェルター級の世界王者であり、2024年に国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たしたが、日曜、イングランド・マンチェスターのハイドにある自宅で46歳で死去した。
「ザ・リング・マガジン」は彼を2005年の年間最優秀選手に選出している。
リッキー・ハットンは、史上最も人気のある英国人ファイターといっても過言ではない。
「ヒットマン」は地元マンチェスターの旧MENアリーナを常に満員にし、英国各地で観客を熱狂させた。セレブから労働者階級のファンに至るまで、多くの人々が彼に強い共感を抱いていた。
彼の人気を示す好例が、2007年の
フロイド・メイウェザー・ジュニア戦だ。およそ3万人の英国人ファンがラスベガスに押し寄せたとされている。さらにメイウェザー戦での敗北後には、愛するマンチェスター・シティの本拠地でフアン・ラスカノを破り、その試合を約5万5千人が見届けた。
ハットンがエリートファイターの地位を確立したのは2005年、IBFジュニアウェルター級王座をコスティア・チューから奪った時だった。ハットン自身が「最大の勝利」と語るその試合で、殿堂入りボクサーのチューを11回終了時に棄権へと追い込んだ。
その後、カルロス・マウッサを9回でストップしてWBA王座を獲得し、2005年の「ザ・リング・マガジン」年間最優秀選手に選出された。
ハットンの転落は2009年、全盛期の
マニー・パッキャオとの対戦で急激かつ衝撃的に訪れた。フィリピンのスターは初回に2度のダウンを奪い、2回には強烈な左フックで意識を奪い去り、この一撃は「ザ・リング・マガジン」の年間KO賞に選ばれた。ハットンはその後、10の主要カテゴリーにわたり、自身が対戦した最強の相手について「ザ・リング・マガジン」に語った。
最も技巧的な相手
フロイド・メイウェザー・ジュニア:こちらが5発、6発、7発とまとめて打っても、1発か2発通るかどうかで、必ず半分はブロックされてしまった。おそらく彼のパンチは60~70%がヒットしていたと思う。自分はその3倍も4倍も手数を出していたのに成果はなかった。すべてはタイミングとハンドスピードで、彼は打つべき瞬間を完全に理解していた。
自分が滝のように打ち続けている間、彼は嵐をやり過ごし、こちらが失速するのを待ってからアクセルを踏み込み、適切なタイミングでパンチを見つけ出した。試合の前半はまだよかったが、彼はすべてを吸収していた。そして自分が息切れし始めたと見るや、的確なパンチを見つけたんだ。本当に賢い相手だった。
最高のジャブ
イーモン・マギー:彼はカウンターパンチャーで、スタイル的に言えば自分にとって最悪のタイプだった。メイウェザーのジャブは良かったが、破壊的と呼べるものではなかった。自分のスタイルを封じるには、前に出た時にぶつかるような重いジャブが必要だと思う。その点、マギーのジャブは非常に速く、しっかりしていて、攻め込むのをためらわせるものだった。
最高のディフェンス
メイウェザー:考えてみれば、自分が6発、7発、時には8発まとめて打っても、全部外れることがあった。1発か2発当たったとしても、彼は肩で受けたり、半分ブロックしたり、身を沈めたり、引いてかわしたりした。仮にクリーンヒットしても、その威力を殺してしまうんだ。
最強のあご(打たれ強さ)
ベン・タッキー:2週間ぶっ通しで殴り続けても何も起こらなかっただろう。彼は最速でもなければ最も才能があるわけでもなかったが、どのラウンドでも3分間みっちり働かせられた。あの試合の序盤、2、3ラウンドの時点で「これはノックアウトできないタイプの相手だ」と思った。ボディには何度か効かせたが、顎を打ち抜いても正直なところ全く効いている様子がなかった。
最強のパンチャー
マニー・パッキャオ:破壊力という点で言えば、マニー・パッキャオだろう。繰り返し言うようで嫌だが、リングに上がった時点で自分にはもう戦う力が残っていなかった。オーバートレーニングをしてしまっていたんだ。それでもなお、あの一撃で試合を終わらせるパンチ力を考えれば、やはりパッキャオと言わざるを得ない。
自分はかなりのパンチャーたちと戦ってきた。ビンス・フィリップスの右アッパーをもろに食らったことがあって、あれは本当に強烈で、試合の4回に自分を揺さぶった。試合自体はかなり楽に勝ったが、その一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなったほどだ。だがやはり挙げるとすればパッキャオだろう。
最速のハンドスピード
メイウェザー:やはりメイウェザーだと言うだろう。彼は本当に、本当に速かった。自分は距離を取って、他のファイターなら誰もが言うように、試合に慣れながら入っていこうとした。メイウェザー戦でも同じようにやろうとしたんだ。そして彼の先手の左フックを食らったとき、「こんなハンドスピードを生かされる距離で戦ってはいけない、もっと近づかなければ」と思った。その最初の左フックは本当に不意を突かれた。過去にもルイス・コラソのようなスピードのある選手や、イーモン・マギーのように非常に速いハンドスピードを持つ相手と戦ってきたが、あれは明らかに次元が違うと感じた。
最速のフットワーク
パッキャオ:マニーはかなり速かった。さっきも言ったように自分はベストの状態ではなかったと思うが、マニー・パッキャオが踏み込んで出入りする動きは本当に速かった。踏み込むときは非常に爆発的で、そのハンドスピードによって多くの大柄な相手を驚かせてきたのだと思う。彼は踏み込み、下がり、再び激しく踏み込んでくる。その勢いは凄まじかった。大柄な相手を揺さぶったのは、見えるパンチではなく見えないパンチこそが効くからであり、その多くは彼のフットワークに起因していたと思う。
最も頭脳的な相手
メイウェザー:フロイド・メイウェザーが断然だ。キャリアの中で何度も証明したように、自分は12ラウンド全力で戦い抜ける。しかしあの試合ではレフェリーがそれを許さなかったと思う。組みを割られ、リズムを止められ、手数を封じられた。あの試合を振り返るたびに「もしレフェリーがもっと近い距離で戦わせてくれていたら」と考えてしまう。ただ、フロイドがすべてを掌握していたのは間違いない。それが試合中の印象だった。
レフェリーは自分に不利な裁きをしたが、まるで彼は自分の失速を待ってからアクセルを踏み込んでいるようだった。本当に賢い。重要なのは手数の多さでもなく、コンビネーションの数でもない。彼がアクセルを踏み、パンチを繰り出すタイミングの選び方こそが鍵だった。
最もフィジカルが強かった相手
フアン・ウランゴ:挙げるならフアン・ウランゴだろう。彼はそれほど速くなく、特別なボクシング技術があったわけでもなく、打ちやすい相手ではあった。だが「倒せないかもしれない」と思った数少ないファイターのひとりだった。距離を詰められると、140ポンド級で唯一、自分が押し返すことができなかった相手だった。
総合的に最強の相手
メイウェザー:フロイドを挙げるだろう。彼は必ずしもパワー型ではなかったが、ボクサーに必要な要素をすべて備えていた。ボクシングは「打って打たれない」技術の芸術だと言われるが、彼はその最高の体現者だった――タイミング、ディフェンス、ハンドスピード。圧倒的なパンチ力があるわけではなかったが、総合力では群を抜いていた。2番手を挙げるならマニー・パッキャオだろう。
試合があまりにも早く終わってしまい、自分の状態もベストではなかったので、正確に判断するのは少し難しかった。だがフロイドと対戦した時、階級を上げて臨んだあの試合では準備は完璧だと感じていた。やはりフロイド、そして次点でマニー・パッキャオというところだろう。
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