ライトヘビー級およびクルーザー級の世界チャンピオンであり、2004年に国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たす
ドワイト・ムハンマド・カウィが、
先週金曜日、メリーランド州ボルチモアで72歳で亡くなる。WBCのマウリシオ・スライマン会長はX(旧Twitter)で次のように述べる。
「WBCは世界中のボクシング界と共に、ドワイト・ムハンマド・カウィの永遠の安息を祈る。彼は刑務所で服役中にボクシングへの愛を見出し、WBCライトヘビー級王者となった。偉大な父であり祖父であり、社会の手本でもあった。安らかに眠れ、チャンプ。」
編集注:本記事は『リング』誌2019年3月号に初出掲載されたものである。
ドワイト・ムハンマド・カウィは1980年代にライトヘビー級とクルーザー級で世界王座を獲得し、その過程で同時代の強豪たちと対戦する。
カウィは1953年1月5日にメリーランド州ボルチモアでドワイト・ブラクストンとして生まれ、少年期にニュージャージー州カムデンへ移り住む。そしてまもなく非行の道へ進む。
「ちょっと悪さをして、更生施設に入ったんだ。13歳か14歳のときで、9カ月そこにいた」とカウィは『リング』誌に語る。「19歳のとき、もうこんな生活はやめようと心に決めた。でもそのときにはすでに刑務所に入ることになっていた。強盗で5年服役したんだ。」
二度と戻るまいと心に決めたカウィは、釈放後に地元のボクシングジムに通い始め、そこでボクシングと出会う。アマチュア経験のないまま1978年4月にプロデビューし、初戦は引き分けに終わる。1981年5月には元ライトヘビー級王者マイク・ロスマンを7ラウンドでKOし、さらに同年、タイトル挑戦者決定戦で収監中のジェームズ・スコットをラウェイ州刑務所で判定で下す。そこはかつてカウィ自身が服役していた刑務所だった。
「怖がる人もいたと思うけど、俺は怖くなかった」と彼は言う。「あいつは自分のことを“スーパーマン”って呼んでたけど、俺は『お前なんてただの人間だ』って言ってやった。」
1981年12月、カウィはアトランティックシティで、長年王座に君臨していた『リング』誌およびWBCライトヘビー級王者マシュー・サード・ムハンマドと対戦する。
カウィは序盤から攻め立て、タフなサード・ムハンマドを10ラウンドでストップする。身長170センチのカウィは、ライトヘビー級史上最も背の低い世界王者となった。
この勝利の後、彼は正式に名前をドワイト・ムハンマド・カウィに改める。
「自分がムスリムであることを広く認識されるようになりたかった。そのためにこの名前が役立つと思った」と彼は説明する。「ムハンマドという名前が気に入っていて、“称賛される者”という意味なんだ。カウィは“強き者”を意味する。」
彼は3度の防衛に成功し、その中にはサード・ムハンマドとの再戦での勝利も含まれる。そして統一戦でマイケル・スピンクスに激闘の末、15ラウンドの判定で敗れる。
その後、4連勝で巻き返したカウィは、WBAクルーザー級王座をかけて南アフリカで地元のピート・クラウスと対戦する機会を得る。“カムデンの電動ノコギリ”は11ラウンドでクラウスをストップし、2階級制覇を達成する。
1986年7月、カウィはタイトルを携えてアトランタに乗り込み、無敗の1984年オリンピック銅メダリスト、
エヴァンダー・ホリフィールドという新星と対戦する。
両者は、歴史上最高のクルーザー級の一戦と広く称される激闘を繰り広げ、15ラウンドにわたって互角の打ち合いを演じる。最終的にホリフィールドが僅差のスプリット判定で勝利をもぎ取る。
17カ月後に再戦が行われたときには、ホリフィールドはすでにひと回り成長したファイターになっていた。一方でカウィは衰え始めており、4ラウンドでストップされる。その後、ヘビー級に短期間挑戦するも、
ジョージ・フォアマンに7ラウンドで敗れる。
1980年代半ばから後半にかけて、カウィは何度もアルコール依存の問題と闘うことになる。「最後に酒を飲んだのは1990年4月30日。1990年5月1日から断酒してる。自分は終わった、負けたって分かってた」と彼は厳かに語る。
カウィ(戦績:41勝11敗1分、25KO)はその後も数年間リングに立ち、成功と失敗を繰り返しながら、1998年に正式に引退。2004年には国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たす。
「その栄誉は誰にも奪えない」と彼は誇らしげに語る。「思い返すたびに、あの名誉は王座を取ったこと以上の意味を持つ。」
1992年からは、地元ボルチモアで薬物依存カウンセラーとして働いていたカウィは、このたび『
ザ・リング』のインタビューに応じ、自身が対戦してきた中で最も優れていた選手たちを10のカテゴリーで振り返る。
【最優秀ジャブ】
エヴァンダー・ホリフィールド:平凡な意味で言えば、マイケル・スピンクスとエヴァンダー・ホリフィールドかな ― そこまで多くジャブをもらったわけじゃないし、特に効いたとも思わない。ただホリフィールドは、ジャブを本当によく出してきた。
【最優秀ディフェンス】
エディ・デイビス:フィラデルフィアで試合した相手に、アル・ボールデンっていう雑草タイプの選手がいた。そいつは全然パンチが当たらなかった。俺はボクシングで一番やっちゃいけないことをした ― 前の晩に女と寝たんだ。たぶんそれも関係してたと思う。エディ・デイビスは本当に変則的だった ― 動きが独特でね。
攻略するのにすごく時間がかかった。ボクシングには「リードをつける」っていう感覚があって、相手が前にいるのにパンチが当たらない。でも俺はそいつにリードをつけて、逆に自分を追わせるようにしたんだ。そこから攻めて倒した。そこに至るまでは、本当に素晴らしいディフェンスを見せていたよ。
【最速のハンドスピード】
ホリフィールド:マイケル・スピンクスとエヴァンダー・ホリフィールド、どちらもハンドスピードは同じくらい速かったけど、俺にとっては特別に驚くような速さではなかった。選ぶとしたらエヴァンダーかな。
【最優秀フットワーク】
ホリフィールド:ピート・クラウスはフットワークが良かった。よく動いていて、俺は何度も距離を詰めようとして手を出さされた。あいつは俺の一歩に対して三歩くらい動いてた。ホリフィールドもマイケル・スピンクスもそうだった。よく動いて、止まらなかった。
この3人の中で言えば、マイケルはあまりに変則的で、あれを“フットワーク”と呼んでいいか分からない。クラウスは一貫した動きでアドバンテージを持ってた。ホリフィールドはとにかく止まらなかった。動き続けて、角度もつけてきた。だから、選ぶならホリフィールドだな。
【最優秀タフネス(顎)】
ホリフィールド:一番打たれ強かったのはホリフィールドだな。初戦でも再戦でも、俺のパンチをまともにもらっても平気だった。再戦の第3ラウンドでは、右を一発クリーンヒットさせたら、一瞬止まって意識が飛んで、すぐに戻って逃げていった。そのラウンドのインターバルで、セコンドが総出で「やつを倒せ!」って叫んでたのが聞こえた。あいつはとんでもないパンチを受けても耐えたよ。
【最も頭脳的だった相手】
マイケル・スピンクス:俺とリングに上がるなんて、誰が賢いんだよ?(笑)でもスピンクスは、犬みたいに逃げまわったとはいえ、それが賢い戦い方だった。あまりに全力で逃げてたから、自分の足につまずくほどだったよ。
【最もフィジカルが強かった相手】
レオン・スピンクス:あいつは体格も大きくて、踏ん張りが効いてた。ホリフィールドも力強かったけど、俺を押し込んできたというより、自分から距離を取るために押し返してただけ。ジョージ・フォアマンがパワーあるのはみんな知ってるし、今でもそうだろう。でもレオン・スピンクスは、俺を打ち合いに引きずり込んできた。かなり粘り強くて、荒っぽくて、タフだったな。
【最強のパンチャー】
マシュー・サード・ムハンマド:ホリフィールドは何か人工的な力(ドーピング)を使ってたと思ってる。だから評価はしない。フォアマンは昔ほどの切れ味はなかった。重いパンチは打ってたけど、痛くはなかった。全盛期じゃなかったからな。俺の方が効かせてたし、フォアマンは何度かぐらついてた。でも俺がスタミナ切れしただけで、彼が最強のパンチャーだったとは思わない。
本当にパンチが効いたのはマシュー・サード・ムハンマドだ。彼のパンチは強烈だった ― 俺にも効いた。あの一発をもらったとき、会場全体がひっくり返ったような感覚だった。
【最も優れたボクシング技術】
サード・ムハンマド:サード・ムハンマドはすごく技巧的なファイターだった。俺が封じただけで、彼の技術は本物だった。タイトルを9度も防衛して、強い相手と何人も戦ってきた。俺のトレーナーは「やつは打ち合いに持ち込みたがってる」と言ってたけど、リングの中で見せた動きにはいろいろ学ぶべきものがあった。油断は禁物だったよ。左フック、アッパーカット、そしていい右も持っていた。
【最優秀総合力】
サード・ムハンマド:みんながそれぞれに違う難しさを持っていた。マイケル(スピンクス)も、俺にとっては常に厄介な相手だった。フォアマンとも戦ったが、彼の全盛期ではなかった。
俺が対戦した中で最も優れたファイターはマシュー・サード・ムハンマドだ。彼はまるでシュガー・レイ・ロビンソンを思わせる存在だった。
相手の動きを読み取り、それを逆手に取って自分の力に変えてくる ― しかもそれ以上のレベルで。順応力が高く、だからこそ何度も逆転劇を見せてきたんだ。俺はその彼を封じて、圧倒した。他にも候補はいるけど、名前を挙げようとすると“アスタリスク(※)”が邪魔をする。
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