火曜日、二階級制覇王者の
ニノ・ベンベヌチが87歳で逝去した。
『ザ・リング』誌が1968年の年間最優秀選手に選出した彼は、亡くなる直前まで世界王者経験者としては存命中で2番目に高齢であった。この出来事をきっかけに、現在存命中の世界王者経験者で最年長は誰なのかに関心が集まった。
著名なボクシング史家ボブ・ヤレンの協力を得て、『ザ・リング』誌は、現在存命中の世界王者経験者のうち最年長10名を、その功績と共に紹介する。
フレディ・リトル(アメリカ)1936年4月25日生(89歳)
ミシシッピ州ピカユーン出身。20歳でプロデビューを果たし、地域タイトルを獲得した。キャリアを積み重ねる中、1967年10月に韓国・ソウルでキム・キスとWBA/WBCスーパーウェルター級王座をかけて対戦するが、15回スプリット判定で敗れる。翌年、リトルはイタリアへ遠征し、キムを破ったサンドロ・マッツィンギをストップしたかに見えたが、試合はノーコンテストとなった。その後マッツィンギは王座を剥奪され、リトルはスタンレー・ヘイワードとの対戦が決定。1969年3月にラスベガスで行われたこの試合で、リトルは15回ユナニマス判定勝ちを収め、念願の世界王者に輝いた。リトルはその後2度防衛に成功したが、カルメロ・ボッシに15回ユナニマス判定で敗れ王座を失った。通算戦績は51勝6敗1無効試合(31KO)。
ポール・藤猛(日本/アメリカ)1940年7月6日生(84歳)
ハワイ出身の日系三世。米海兵隊に従軍した後、日本でプロボクサーとしてのキャリアをスタートさせ、ハワイでも試合を行った。ジュニアウェルター級で日本タイトルとOPBF東洋太平洋タイトルを獲得。その後、サンドロ・ロポポロを2回KOで破り、The Ring、WBA、WBCの世界王座を統一した。初防衛戦後、技巧派として知られるニコリノ・ローチェとの対戦で10回終了時に棄権(RTD)負けを喫する。その後も4試合を戦い、引退。通算戦績は34勝3敗1分(29KO)。
ロベルト・クルス(フィリピン)1941年11月21日生(83歳)
13歳という若さでプロデビューを果たすが、1955年にラウレアノ・リャレナスとの4回戦で判定負けを喫し、キャリアのスタートは幸先の良いものではなかった。その後、フェザー級およびウェルター級のフィリピン国内王座を獲得。最大の栄光は、レイムンド・トーレスを初回KOで下し、WBA世界スーパーライト級王座を獲得した瞬間であった。しかしその王座在位期間はわずか3か月で、エディ・パーキンスに15回ユナニマス判定で敗れ、WBA王座とともに、空位であったThe Ringおよび創設されたばかりのWBC王座の獲得にも失敗した。興味深いことに、クルス(29勝12敗3分、12KO)の引退前から2番目の試合では、ポール・藤猛にKO負けを喫している。
ブルーノ・アルカリ(イタリア)1942年1月1日生(83歳)
アルカリは1964年の東京オリンピックでイタリア代表として出場が決まっていたが、試合前に負傷し棄権を余儀なくされた。同年中にプロへ転向したが、デビュー後まもなくフランコ・コレッラに5回TKO負け、さらにマッシモ・コンソラーティにも10回TKOで敗れるという波乱のスタートを切った。その後両者と再戦し、いずれもリベンジに成功した。以後は無敗を維持し、ジュニアミドル級でイタリア王座と欧州王座を獲得。 1970年にはペドロ・アディゲ・ジュニアを15回判定で下して世界王座を獲得した。この技巧派ボクサーは9度の防衛に成功した後、王座を返上してウェルター級へ階級を上げたが、147ポンド級での世界挑戦の機会は得られなかった。最終的に(70勝2敗1分38KO)という輝かしい戦績を残して引退した。
ビリー・バッカス(アメリカ)1943年3月5日生(82歳)
元二階級王者カルメン・バシリオの甥であり、ニューヨーク州カナストタの出身。プロキャリアの初期18試合では8勝7敗3分と安定しない成績であった。しばらくの休養を挟んだ後、7連勝を飾り、1970年にはニューヨーク州王座を獲得。その年の秋には、当時WBA/WBC/『ザ・リング』誌のウェルター級統一王者であったホセ・ナポレスへの挑戦のチャンスを得る。番狂わせとなる試合で、カットによる4回TKO勝ちを収め、王座を獲得した。しかし、再戦ではナポレスに8回で王座を奪い返される。その後もバッカスはキャリアを続け、数年間リングに上がり続けたが、最終的には1978年にWBA世界ウェルター級王者ピピノ・クエバスにRTD負けを喫し引退した。最終戦績は48勝20敗5分(22KO)。
ホセ・レグラ(キューバ/スペイン)1943年3月19日生(82歳)
キューバ出身のレグラは、当初は母国で試合を行っていたが、フィデル・カストロ政権によりプロボクシングが禁止されたことを受けてメキシコへと活躍の場を移し、その後スペインに定住した。1960年代後半、既に100戦以上の経験を積んだベテランだったレグラは、欧州フェザー級王座を獲得。さらに1968年、ウェールズでハワード・ウィンストンを5回TKOで破り、WBC世界フェザー級王座を手にした。 しかしながら初防衛戦ではジョニー・ファメションに15回判定で敗れ、王座を失った。にもかかわらず彼は諦めず、数年の間に再びヨーロッパ王座を獲得。再び世界タイトル戦線に返り咲き、1973年にはメキシコでクレメンテ・サンチェスを10回TKOで下し、WBC王座に返り咲いた。 だがその王座も初防衛戦でブラジルのエデル・ジョフレにマジョリティ判定で敗れて再び失うこととなった。その後も数試合を重ね、最終的に(129勝11敗4分49KO)という圧倒的な戦績を残して引退した。
政彦「ファイティング」原田(日本)1943年4月5日生(82歳)
16歳でプロデビューを果たし、わずか2年半後の1962年秋にはタイの伝説的王者ポーン・キングピッチを11回KOで破り、WBAおよびThe Ring認定の世界フライ級王者に輝いた。しかし、タイで行われた直接の再戦では、15ラウンドでマジョリティ判定で敗れて王座を失った。 その後バンタム級へ転向し、13勝1敗の成績を積み上げた原田は、当時無敗だったブラジルの名王者エデル・ジョフレと対戦。15ラウンドでスプリット判定で金星を挙げ、WBA、WBC、そしてThe Ring認定のバンタム級王座を手中に収めた。その後の4度の防衛戦には、ジョフレとの再戦(15ラウンドでユナニマス判定勝ち)も含まれている。 その後リオネル・ローズに15ラウンドで判定で敗れ王座を明け渡した原田は、3階級制覇を目指してフェザー級に挑戦。ジョニー・ファメションと対戦するが、15ラウンドで判定で惜敗。再戦では最終15ラウンドの直前にストップされ、TKOで敗れた。最終戦績は(56勝7敗23KO)。
輪島功一(日本)1943年4月21日生(82歳)
このリストの他の選手たちとは異なり、ワジマは25歳という比較的遅い年齢でプロデビューを果たした。デビュー後、日本王座を獲得したのち、1971年、カルメロ・ボッシとの試合で15ラウンドでスプリット判定勝ちを収め、WBA/WBC世界ジュニアミドル級王座を手にした。その後、6度の防衛に成功したが、1974年、オスカー・アルバラードとの試合で、試合のポイントでリードしていたにもかかわらず15ラウンドにKOで敗れ、王座を失った。しかし、同年の直接の再戦では15ラウンドでユナニマス判定で勝利し、王座を奪還。さらに、韓国のユ・ジェドゥとの2試合シリーズでは、1戦目で7ラウンドでTKO負けを喫して王座を失うも、2戦目で15ラウンドでKO勝ちを収めて再び王座に返り咲いた。その後、ホセ・デュランとの試合で15ラウンドでKO負けを喫してタイトルを失い、再度の戴冠を目指してエディ・ガゾと対戦したが、11ラウンドでTKO負けを喫し、王座返り咲きはならなかった。通算戦績は31勝6敗1分(25KO)。
イスマエル・ラグナ(パナマ)1943年6月28日生(81歳)
ラグナはプロデビューからわずか2年以内で国内フェザー級王者の座に就いたが、真価を発揮したのはライト級であった。1965年、優れた実力を持つカルロス・オルティスと対戦し、15ラウンドマジョリティ判定で勝利してWBC世界ライト級王座を獲得した。しかしその後、オルティスとの再戦を2度行い、いずれも15回ユナニマス判定で敗れて王座を失った。「エル・ティグレ・コロンセンス(コロン出身の虎)」の異名を持つラグナはその後も諦めずに戦い続け、再び訪れたチャンスでマンド・ラモスを9回TKOで下し、かつてのWBC王座を奪還した。だが、2度目の防衛戦ではスコットランドの名王者ケン・ブキャナンと対戦し、15回スプリット判定で敗れて王座を再び失った。その後、ブキャナンとの再戦にも臨んだが、再び判定で敗れ、これを最後に引退した。通算戦績は65勝9敗(37KO)。
レネ・バリエントス(フィリピン)1943年7月25日生(81歳)
バリエントスは、1960年に伝説的ボクサーであるフラッシュ・エロルデがハロルド・ゴメスを破った試合を見てボクシングの道を志すようになった。それから5年後、プロとしての試合数はまだ少ない段階で、憧れのエロルデとの対戦が実現し、12回戦で判定負けを喫した。しかしその経験が彼を奮い立たせ、気を取り直したバリエントスはその後、日本で行われたWBA/WBC世界スーパーフェザー級王座決定戦で小林弘と対戦し、15ラウンドで引き分けという結果を残した。さらにチャンスを得た彼は、再挑戦となるルーベン・ナバロとの試合で15ラウンドでユナニマス判定勝ちを収め、WBC世界スーパーフェザー級王者の座に就いた。しかしその後、沼田義明との試合で15ラウンドでスプリット判定により王座を失い、再戦でも同様にスプリット判定で敗れた。通算戦績は(39勝7敗2分14KO)。
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