ユーリ阿久井政悟にとって、かつて東京で試合をすることは考えただけで不安を引き起こすものであった。岡山で育った阿久井にとって、東京は車で8時間、新幹線でも3時間かかる遠い場所であり、日本のボクシング界の中心地でもあった。日本では数多くの世界王者が誕生しているが、東京以外の地域で実力を磨いた選手はごくわずかである。
29歳の阿久井は、その数少ない例外の一人であり、現在WBAフライ級王座を保持している。そして3月14日、WBCフライ級王者の寺地拳四朗との統一戦に挑む。試合の舞台は東京・両国国技館。10年前には想像もできなかったような大舞台である。
小学校から中学初期まではサッカーに打ち込んでいた阿久井だったが、最終的に父・和彦の後を追い、ボクシングの道に進むことを決意した。和彦は、倉敷守安ジムからプロデビューした初のボクサーであり、日本国内のリングで11年間戦い、最終戦績は13勝15敗2分であった。政悟はお年玉でボクシンググローブを購入し、中学時代に父が所属していたジムの門を叩き、日本ジュニアウェルター級王者の守安竜也の指導を受けることとなった。
阿久井の「戦う意志」が揺らぐことはなかったが、自身が岡山で練習を続ける限り、国内レベルを超えられるのかという疑念を抱いていた。自らの夢も、ごく控えめなものにとどまっていた。
「東京で戦う自信がなかった。高校時代に井上拓真や田中恒成(三階級制覇王者)と戦って負けたけど、それほど悔しくはなかった。ただ、『ああ、こういう選手がチャンピオンになるんだな』と思った」と、昨年、阿久井はNumber誌の澁谷淳に語っている。
阿久井は父と同じくプロの道へ進み、2015年には2度目の挑戦で全日本新人王ライトフライ級を制した。しかし、フライ級へ転向すると、東京や海外で鍛えられた有望選手とのレベルの違いを痛感させられた。中谷潤人との8回戦でKO負けを喫したとき、その現実を突きつけられた。試合が止められ、コーナーへ戻ると、彼は守安に向かって「すみません」と謝った。
だが、それは敗北を認める言葉ではなく、決意の表れだった。中谷戦の準備期間、阿久井にはサウスポーのスパーリングパートナーも、世界レベルの選手と対峙する機会もなかった。この経験が彼の意識を大きく変えた。岡山という地方での環境をハンデと考えるのではなく、むしろモチベーションとして活かそうと決めた。同時に、今ある環境の限界を受け入れるのではなく、自ら動いて知識や経験を得ることを選んだ。
阿久井は警備会社「サンヨーセーフティ」で働きながら貯めた金で、東京へ行き、トレーニングやスパーリングを行うようになった。倉敷守安ジムが変わらず拠点ではあるが、それだけでは足りないことを悟っていた。
「自信はなかったけど、岡山でチャンピオンになると決めていた」と、先月の関西月刊スポーツ誌の取材で語った。「地元を離れられない選手もいるし、地元で頑張りたい選手もいる。自分が彼らのロールモデルになれたらいい。助けが必要なときは、周りに頼ってもいい。努力すれば、チャンスは掴めるんだ。」
昨年1月、阿久井はついに夢を実現し、アルテム・ダラキアンを破ってWBAフライ級王座を獲得した。これは、彼のジム、そして岡山県のボクシング界にとって歴史的な瞬間だった。岡山県で世界戦が行われたのは、2001年にウルフ徳光がホセ・アントニオ・アギーレに挑戦して以来のことだった。リングサイドでは、岡山出身の元世界王者であり、日本最高のアクションファイターの一人と称される辰吉丈一郎が、満面の笑みでその瞬間を見守っていた。試合後、阿久井はかつて警備員として勤務していた天満屋倉敷店にチャンピオンベルトを持参し、旧職場に凱旋した。
ダラキアン戦の後、阿久井は記者たちに語りかけるとともに、地方で奮闘するボクサーたちにメッセージを送った。「地方には経験不足や、ボクシングの中心地の情報が少ないという問題があると思う。別に地方を離れるべきとは言わない。でも、中心地のボクシングを観て、学ぶこともトレーニングの一環だと思う。恐れずに中心地で戦えば、チャンスは巡ってくる。」
阿久井のリングネームは、元フライ級王者勇利アルバチャコフに由来する(高校時代、クラスメイトから「彼に似ている」と言われ、それが定着した)。また、アレクシス・アルゲリョやフアン・マヌエル・マルケスといった技巧派を崇拝して育った。しかし、阿久井の戦闘スタイルには、辰吉のファイティングスピリットが色濃く反映されている。近年、阿久井は全国各地で知識を吸収し、特に東京の帝拳ジムでは、1キャンプで100ラウンド以上のスパーリングを行うことが多い。寺地拳四朗戦の準備では、現WBOライトフライ級王者・岩田翔吉、2021年世界アマチュア王者・坪井智也らと練習を重ねた。
阿久井はまた、地理的な不利を逆に大きな強みに変えることにも成功した。彼はボクシング以外の仕事を続け、警備員の仕事から母校・太平洋学院の体育課アシスタントへと転職した。この職務により、彼は学校の最新技術を活用する機会を得ることができた。例えば、高地トレーニングを模擬するシミュレーターを使用し、トレッドミルでのトレーニングに役立てている。しかし、阿久井にとって仕事は単なるトレーニング環境を得るためのものではなく、ボクシング成功のための最適なライフスタイルの一部でもある。「岡山ではボクシング以外にすることがない。だから仕事を再開し、自分なりのトレーニングリズムを作った。仕事をして、練習をして、家に帰るというリズムを整えるために働いているんだ」と、昨年『日刊スポーツ』の取材で語った。
「拳四朗の独特なリズムや距離感に惑わされないように練習を続けてきた。彼はジャブもカウンターも上手い。スタミナ勝負になると思うが、KOで勝ちたい」と、阿久井は最近の帝拳ジムでの公開練習で語った。
「岡山ではボクシング以外にすることがない。だから仕事を再開し、自分なりのトレーニングリズムを作った。仕事をして、練習をして、家に帰るというリズムを整えるために働いているんだ」と、昨年『日刊スポーツ』の取材で語った。
「拳四朗のいやらしいリズムや距離感に惑わされないように練習してきた。彼はジャブもカウンターも上手い。スタミナ勝負になると思うが、KOで勝ちたい。」
阿久井はこれまで、地元への誇りを原動力として戦ってきた。しかし、今回の試合にはもう一つ、大きな理由がある。今年6月、妻の夢との間に3人目の子供が生まれるのだ。
「世界チャンピオンのまま、息子を迎えたい。」