オハイオ州クリーブランド──鈍い音を響かせながらサンドバッグを打つ革の音、リング上でスパーリングする選手たちの声。その頭上を突き抜けるように、指導の声がこだまする。その声は、ポスターがはがれかけた地下室の壁に反響する。そこはクリーブランド市街地から程近いオハイオ・シティ、トリニティ・ルーテル教会の地下にある「オールド・アングル・ジム」という質素なボクシングジムである。
ここは、ミゲル「シルキー・スムーズ」ゴンザレスが人生の大半を過ごしてきた場所である。父ソニーの厳しい眼差しのもとでボクシングを学び、全米有数のアマチュア選手へと成長し、さらに2019年のラストファイトまでに29戦25勝を挙げるプロキャリアを築いたのもこの場所であった。
現在もゴンザレスはこの地下ジムで日々を過ごし、次世代のクリーブランドの選手たちに自身の知識を伝えている。しかし、彼の過去には、どれだけ年月が経とうとも色褪せない物語がある。

それは2007年のオリンピック予選での出来事であり、ゴンザレスはいまだに「
テレンス・“バド”・クロフォードに最後に勝った男」という称号を持ち続けている。後にパウンド・フォー・パウンドの王者となるクロフォードに勝った唯一の存在である。
クロフォード(41戦41勝無敗、31KO)がボクシング不滅の領域へと昇りつめた今、この記憶はより大きな意味を持つようになった。
9月13日、ラスベガスでカネロ・アルバレスとの世紀の対決に臨むクロフォード。その姿を前に、ゴンザレスは誇りと驚きが入り混じった気持ちで見つめている──自分の名前がチャンピオンの物語に永遠に刻まれていることを知りながら。
「この街の人々は特に知っている、俺がクロフォードに勝った男だと。俺は心を懸けて戦ったから勝てた。ロベルト・デュランのようにスリックで、しかも打ち合ったんだ。バドを突き抜けていったんだ」とゴンザレスは
『ザ・リング・マガジン』に語った。「俺は彼に勝った唯一の男なんだ」
ヒューストンで行われた予選は、米国ボクシング史上屈指の激戦区だった。そこから10人もの選手が後に世界王者となった。キース・サーマン、デオンテイ・ワイルダー、ダニー・ガルシア、ゲイリー・ラッセルJr.、ショーン・ポーターらがその顔ぶれである。
クロフォードは優勝候補の一人として臨んだが、サダム・アリに敗れ敗者復活戦に回る。ゴンザレスも準決勝でアリに敗れ、クロフォードとの対戦が決まった。それは3度目の対決であった。過去2戦はいずれもクロフォードが勝利しており、1戦はゴンザレスが反則で減点を受けた末に1ポイント差で敗れていた。
今回ばかりは、ゴンザレスは疑いの余地を残すつもりはなかった。
「俺はこの男を打ち砕きたかった。デュランのようにスリックに、しかも打ち合った。バドを突き抜けていったんだ」とゴンザレスは振り返る。
サウスポーのゴンザレスは、同じくサウスポーのクロフォードを相手に動きと角度とプレッシャーで翻弄した。クロフォードはスイッチヒッターとしてスタイルを変え、アウトボクシングや打ち合いも試みたが、何一つ通用しなかった。結果は32–23でゴンザレスの勝利。
「奴は打ち合いもしたし、ボクシングも試したが、俺が上回った。俺が働き勝ったんだ。バドを打ちのめした」とゴンザレスは語った。
その夜の戦いは、クリーブランドのアマチュア仲間たちに強烈な印象を残した。
- ティム・ヴァンニュー・ハウス:「ヒューストンの夜、彼はクロフォードに勝っただけじゃない。完全に圧倒したんだ。アマチュアボクシングの教科書のような試合だった」
- ジュリアス・リーグランド:「バドは優勝候補だった…だがミゲルは一瞬たりとも落ち着かせなかった。あの大会で一番真剣なバドを見た瞬間だった」
- ショーン・ポーター:「ミゲルはスリックで賢く、速かった。ポイントシステムを熟知していた。アマでもプロでも彼のキャリアのハイライトの一つだった」
ゴンザレスの五輪への夢は、決勝でアリに敗れたことで途絶えた。翌年、クロフォードと共にプロへと転向し、それぞれのキャリアは大きく異なる道を歩むことになる。しかし、ヒューストンのあの夜が二人を永遠に結びつけることになった。クロフォードは驚異的なキャリアを築き、ゴンザレスは堅実な戦績を重ねた後、再び自らの出発点であるジムに戻った。
そして今、Netflixで配信されるクロフォード対アルバレス戦が迫る中、ゴンザレスは誇りを胸に見守っている。クロフォードの栄光の一部が自分を通じて流れていることを知っているからだ。
「バドに敬意を表する。素晴らしいキャリアを築いたし、俺は彼を応援している。しかし、どんなことがあっても、この街の人々は知っている。俺がクロフォードに勝った男だと。俺は永遠に彼の番号を持ち続けている」とゴンザレスは言う。