元3度の世界ヘビー級王者レノックス・ルイスも、1週間前に伝えられた伝説的ボクサー、ジョージ・フォアマンの訃報に、私たちと同様に深い悲しみを抱いた。
現在59歳のルイスは、フォアマンを尊敬する存在として見ており、その姿勢が1990年代から2000年代初頭にかけて、自身のスキルを磨くモチベーションになっていたという。
「偉大な人だった。あまりに突然だったよ」
と、ルイスは『ザ・リング・マガジン』誌に語った。
「ジョージ・フォアマンは、戦いにおいて人を鼓舞する存在だった。俺は当時、彼のことをそこまで深く知っていたわけじゃなくて、どちらかというとムハンマド・アリに集中していたんだ。
でも彼が俺の試合で解説をしてるのを見て、何も否定的には受け取らなかった。むしろ“これは俺に必要なことだ”と思って、彼の言葉をしっかり受け止めた。もしジョージ・フォアマンが『ジャブが足りない』って言うなら、それを練習するしかないってことさ。そうやって、ジムで磨きをかけるようになったんだ。」
ルイスはフォアマンより17歳年下だが、1990年代には両者のキャリアが交差した時期もあった。ただし、リングで拳を交えることは一度もなかった。
フォアマンは1970年代、“怪物”のような存在として恐れられ、アリに敗れた後に引退。しかし10年後の1987年、38歳でまさかの現役復帰を果たした。
その翌年、若きレノックス・ルイスがソウル五輪で金メダルを獲得し、世界の注目を集める。彼は1989年6月にプロデビューを果たした。
一方その頃、フォアマンは精力的にリングに上がり続け、24勝(うち23KO)という圧巻の復帰戦績を積み上げた。そして1991年4月、アトランティック・シティで当時の4団体統一ヘビー級王者イベンダー・ホリフィールドと対戦。“世代を超えた一戦”として注目された「バトル・オブ・ジ・エイジズ」で善戦したものの、若さが勝り、ホリフィールドが判定勝ち(12回ユナニマス)を収めた。
その間にルイスは、イギリス国内でのタイトルを総なめにし、ブリティッシュ、コモンウェルス、ヨーロッパ王座を獲得。その後、WBCの指名挑戦者決定戦でレイザー・ラッドックを2ラウンドTKOで破ると、リディック・ボウがWBC王座を放棄したことにより、ルイスは自動的にWBC世界王者に昇格した。
フォアマンはその後も3勝を重ねたが、WBO王座を懸けた試合でトミー・モリソンに判定負け(12回)を喫していた。一方のルイスは、WBC王者として3度の防衛に成功していた。
そして1994年4月、フォアマンは誰もが予想しなかった奇跡を起こす――IBF・WBA世界ヘビー級王者マイケル・ムーラーを10ラウンドKOで逆転撃破し、世界を驚かせたのだった。
その時点で、レノックス・ルイスとジョージ・フォアマンの対戦は、まさに“ドリームマッチ”であり、大ヒット間違いなしのビッグファイトになったはずだった。しかし、ルイス自身はこの対戦を本気で検討することはなかった。
「そう、試合の話はあった。でも俺は“拒否”したんだ」
とルイスは明かした。
「俺には勝ち目がなかった。ラリー・ホームズから学んだよ。彼がムハンマド・アリと対戦したとき、俺はすごく複雑な気持ちになった。“アリはもう試合をすべきじゃなかったし、リングであんな扱いを受けるべきじゃなかった”ってね。
あの試合を見るのは本当に辛かった。自分に置き換えてみて、もし俺がジョージ・フォアマンと戦ったら、子どもたちが俺のことを同じような目で見ると思ったんだ。
どんなに頑張っても、それを避けることはできない。だから俺は“絶対に勝てない試合”だと言っているんだよ」
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