アレックス・ウォローは、ABCスポーツで長年にわたりボクシング解説者、エミー賞受賞プロデューサー兼ディレクター、そして同局の社長を務めた人物で、2日前に80歳で亡くなった。トップランクのマッチメイカー、ブルース・トランプラーが日曜にSNSで発表した。
ウォローは1970年代後半から80年代にかけてボクシング中継に欠かせない存在であり、ジム・ランプリーと共に解説を担当。その後、HBOのボクシング番組で30年にわたって顔なじみとなった。
トランプラーはこう記した。
「ボクシング界は、かつての名解説者アレックス・ウォローという勇敢な男を失った。彼はドン・キングの不正なトーナメントを暴いたことで命の危険にさらされながらも立ち向かった人物であり、ハワード・コセルの裏方としても知られ、その後ボブ・アイガーの下でABCテレビの社長を務めた。殿堂入りすべき人物だ。」
ウォローは1976年、ABCスポーツ部門の放送プロモーション責任者として臨時職員からキャリアをスタートした。その後、副社長、上級副社長、ネットワーク運営および管理部門の社長などを歴任した。
翌1977年、ウォローはドン・キングが主催した「U.S.ボクシング選手権大会」の特別顧問兼アソシエイト・プロデューサーに任命された。彼は出場する56名のボクサーの資格を調査し、そのうち31名が出場資格を満たしていないと結論づけた。
ウォローは米国下院通信小委員会で、「大会の正当性を保証する見返りとして賄賂を提示された」と証言した。彼はその懸念をABCの幹部陣に報告したが、当初は伝説的アナウンサー、ハワード・コセルらがウォローの見解に異を唱えたため、会社側は半信半疑だった。
最終的にウォローの主張が正しかったことが証明され、大会は詐欺であると認定され、ABCは関係を断絶した。
1986年、ウォローは不本意ながらボクシング中継のオンエア解説者として復帰した。コセルの後任に満足できなかったABCが彼に白羽の矢を立てたためだった。しかしその頃、顔を洗っていた際に首のしこりに気づき、ステージ4のがんと診断された。
体重を20キロ落としながらも闘病を乗り越え、再びリングサイドに戻って解説を務めたウォローは、その後さらに約40年にわたり活躍し、2025年10月10日にこの世を去った。
最初の診断を受けた後、ウォローはシカゴ・トリビューン紙にこう語った。
「3か月後には、これを患う人の25%がすでに亡くなっている。でも自分はうまくいっている。これは15ラウンドの試合みたいなものだ。やってみるまでは、自分がやれるかどうかなんて分からない。挑戦する覚悟はできている。
人生は結局、帳尻が合うものだといつも感じてきた。自分は信じられないほど幸運な人生を送ってきたし、素晴らしい家族、友人、妻にも恵まれた。だから、これが自分にとっての“試練の時”なんだと思う。世の中には一生を通して苦しい時間を過ごす人もいる。昔、妻にこう言ったことを覚えている。『いつまでもこんなに運がいいわけじゃない』って。だから、ある意味では心の準備ができていたんだ。
ネットワークテレビの仕事を得るために、どれだけの人が何でもすると思う? 自分はその仕事を差し出されるようにして手に入れた。苦労したことがない。たくさんの幸運に恵まれてきた。だから今度は不運が来た。それは当然のことだと思う。」
ボクシング広報のフレッド・スターンバーグを通じて発表された声明の中で、ジム・ランプリーはウォローについてこう述べた。
「これまで取材してきたどのボクサーにも劣らない“ファイター”だった。彼の並外れた知識の土台の上に、私のボクシング実況のすべてが築かれた。1990年代初頭、喉頭がんとの壮絶な闘病を生き抜いたこと自体が勇気の象徴だった。そしてその後30年以上も生き抜いたという事実は、まさに英雄的な勇気の証だ。彼は私に“ボクシングの見方と語り方”を教えてくれた。それが結果的に、私の50年に及ぶキャリアの象徴そのものになった。彼がいなくなったことが悲しくて仕方ないが、彼がこの世にいてくれたことに永遠に感謝している。彼の家族や友人たちに、心から深い哀悼の意を捧げたい。ありがとう、アレックス。」