ベテランの元世界ミニマム級5冠王者である高山勝成が、本日大阪のホテル イル モンテで記者会見を開き、引退を発表した。
「グローブを置くことを決意しました」と高山(35勝9敗、12KO)は、通訳の真尾亮平を通じて『ザ・リング・マガジン』に語った。
「四半世紀にわたるプロボクシングのキャリアを通じて、多くの美しいものを学び、見つけることができました。
キャリアを通じて莫大なサポートをくださった多くの方々に感謝しています。皆さんのおかげで、不可能に挑戦することができました。」
高山は2000年にプロデビューし、2005年にイサック・ブストスを12Rで判定で破りWBC王座を獲得したが、初防衛戦でイーグル・デン・ジュンラパンに12Rで判定負けを喫し、王座を失った。
その後、WBA王者の新井田豊(12Rで2-1の判定負け)や、同じくWBA王者となったローマン・ゴンサレス(12Rで3-0の判定負け)への挑戦にも失敗した。
ゴンサレスに敗れた後、高山は驚きの決断を下し、日本ボクシングコミッション(JBC)のライセンスを返上して海外でIBFやWBOの王座を目指す道を選んだ。当時、日本ではIBFとWBOは認可されていなかった。
高山は世界を転戦し、南アフリカでIBF挑戦者決定戦に勝利。その後、2度南アフリカに戻り、IBF王者ヌコシナティ・ジョイ(3Rノーコンテスト / 判定負け 12R)と対戦した。
しかし彼は諦めず、次にメキシコに向かい、マリオ・ロドリゲスを12Rで2-1の判定負けで破り、IBF王座を獲得した。その後、日本ボクシングコミッションが2013年4月にIBFとWBOを承認したことで、日本国内で2度の防衛に成功。しかし、メキシコでWBO王者フランシスコ・ロドリゲス・ジュニアに12Rで3-0の判定負けし、統一戦に敗れた。
その後、ロドリゲスがミニマム級リミットである105ポンドを維持できなくなったことで、IBFとWBOの王座が空位となり、高山は小浦翼を7回テクニカルノックアウトで下して両王座を獲得した。しかし、WBO王座はすぐに返上し、IBF王座を日本で2度防衛した後、ホセ・アルグメドに9回テクニカルノックアウトを喫し、王座を失った。
その後も闘志を燃やし続け、高山は加納陸を6回テクニカルノックアウトで破り、WBO王座を再び獲得した。
この時点で彼はプロボクシングを引退し、アマチュアボクシングに転向することを決意した。彼の目標は2020年東京オリンピックに日本代表として出場することだった。そのためにアマチュアボクシングのルールに適応し、国内外で試合をこなした。
しかし、最終的にオリンピック出場権を獲得することはできなかった。そして、4年間のブランクを経た2020年、高山は再びプロボクシングのリングに戻る決断を下した。
復帰戦ではWBO世界ライトフライ級王者エルウィン・ソトに9回TKOで敗れたものの、その後3連勝。直近ではカー・ルーとの試合で12Rで3-0の判定勝ちを収め、IBOミニマム級王座を獲得した。
42歳の誕生日を迎える5月を前に、高山はスポンサーである製薬会社で新たな仕事を始める予定である。
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