ベネズエラ・カラカスの高級ホテルのプールサイドの空気は、いつになく緊迫していた。
「おい、そこのお前!」そう怒鳴ったのは、無敗の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンであった。「それを消せ。」
その声に驚いたのは、ロンドン東部出身で当時38歳の男だった。彼は数ヤード離れた場所でタバコを吸っていたが、その一言で手を下げ、フォアマンの方へと向き直った。
「お願いって言ってみろよ」と、コリン・ハートはにやりと笑って返した。一瞬たりとも怖じけづくことなく、むしろ体中に走る恐怖を微塵も見せなかった。
時は1974年。フォアマンは数日後、カラカスのポリエドロ・デ・カラカスでケン・ノートンとの世界ヘビー級タイトル防衛戦を控えていた。ハート──ボクシング記者仲間の間では「ハーティ」として知られていた──を含む英国の報道陣は、フォアマンから試合前のコメントを取るため、インタビューの場をセッティングしていた。
フォアマン自身はあまり気が進まなかったが、記者たちが広報担当のビル・キャプランをしつこく説得した結果、ようやく承諾を得た。「わかった、じゃあ午後2時にホテルのプールに来い」と。しかしその招待には「禁煙」の文字はなかった。
結局ハーティは、インタビューを円滑に始めるためにタバコをもみ消すことに同意した。フォアマンはいつものようにデニムのオーバーオールを着ていたが、下にシャツを着ることはなかった。両者の関係は、こうしてあまり良くない形で幕を開けたが、それはさらに悪化する運命にあった。
「ホセ・ローマンを倒したことを誇りに思ってるってわけじゃないだろうな?」と、ハートは6カ月前にフォアマンが196ポンド半の挑戦者を日本で2分で粉砕した件に言及した。ハートによれば、その瞬間フォアマンの巨大な手が開かれ、彼を平手打ちしようとしたという。だが、そこへビルが割って入り、事態は収まった。
数日後、フォアマンはノートンを2ラウンドで粉砕し、「キンシャサの奇跡」として知られるムハマド・アリとの世紀の一戦が決まる。フォアマンとの関係の次の章がここから始まることになる。当時、アリが勝つと予想した者は世界中でほとんどおらず、英国メディアの中でそう予想したのはハートただ一人であった。
忘れがたい第8ラウンドでフォアマンが倒れた瞬間、ハートはプレス席から立ち上がり、拳を振り上げて喜びをあらわにした。「リングサイドであんなに非プロフェッショナルな振る舞いをしたのは、最初で最後だった」と彼は後に語っている。
その夜、ハートは報道陣の中の伝説となり、当時慣習だった「ヒーローグラム」──記者が素晴らしいスクープを取った際に編集長から送られる称賛の電報──をフランク・ニクリン編集長から受け取った。しかし、それを読んだハートは肩をすくめた。「ラウンド間違えたな?」とだけ書かれていた。ニクリンは、ハーティが有頂天にならぬよう、釘を刺したのであった。
数年後、ハートはテキサス州ヒューストンで別の試合を取材していた。ホテルの階段を上っていたところ、ビル・キャプランが腕を広げて出迎えた。「明日、お前の旧友と昼食をセッティングしたいんだ」とキャプラン。「へえ、それは誰だ?」とハートが聞き返すと、「ジョージ・フォアマンだ」と言われた。
ハーティは手を振って断った。「俺もジョージもお互い好きじゃないんだよ」と言った。しかしキャプランは「任せておけ」と言い、1977年にジミー・ヤングに敗れて引退していたフォアマンは、すでに全くの別人になっていると語った。
翌日、ハートはホテルのロビーで外出前に急いで一服していた。
「おい、そこのお前。それを消せよ」
その声は聞き覚えがあったが、以前よりもずっと柔らかかった。
振り返ると、満面の笑みと差し出された大きな手がそこにあった。キャプランの言う通り、わだかまりは一切残っていなかった。その日の昼食は素晴らしいものとなり、ハートは往年の「ヒーローグラム」もののインタビューを手に入れた。
時は流れて1995年。二人はラスベガスで再会した。目的は異なるが、どちらも仕事で来ていた。フォアマンはMGMグランドでアクセル・シュルツと対戦するため、ハートはその試合を取材するためだった。
試合週のある日、キャプランがハートに「シーザーズ・パレスに行け」と告げた。フォアマンが新著『バイ・ジョージ』のサイン入りコピーを渡したいと言っているというのだ。ハートが部屋を訪れると、フォアマンは本を手にして迎え入れた。そして中を開くと、そこには手書きのメッセージが記されていた。
「コリンへ タバコを消せよ! チャンプより ジョージ・フォアマン」
フォアマンはリングの中ではヘビー級の伝説であり、ハートは記者席の中でのヘビー級の伝説であった。
フォアマンは、アリ、ジョー・フレージャーと並ぶ伝説のトリオの中で最後まで生き残った人物であり、ハートは「キンシャサの奇跡」でリングサイドにいた英国記者の中で最後まで現役であった。それぞれの分野でこれほどまでに長く活躍した者はいなかった。ボクシング界は、二人のレジェンドを心から惜しむことになるであろう。