デービッド・ベナビデスは、土曜日にアンソニー・ヤードを相手にWBC世界ライトヘビー級王座初防衛戦を行うが、そのリングサイドにはいつものように父ホセ・ベナビデス・シニアの姿がある。
しかし昨年175ポンド級へ階級を上げる前、この親子のボクシング人生は一度終わりを迎える寸前であった。
キャリアの岐路に立たされた時、ベナビデスは父と別れる寸前までいった。その後、二人は関係を修復し、現在ではリヤドのANBアリーナで
アンソニー・ヤードと対戦する
「The Ring IV: Night of Champions」(土曜・
DAZN PPV)を迎えるにあたり、これまでで最も強い関係性を築けていると互いに感じているのである。
「上がる時もあれば、下がる時もある。でも俺たちは男だ」とベナビデスは父との関係について
『ザ・リング・マガジン』に語った。「この関係を乗り越えられる成熟さがある。父がいなければ今の俺はいない。父がいなければ、ずいぶん前にボクシングを辞めていただろう。
父はいつも俺を計画に沿わせ、脚本通りに進ませ、夢を支えてくれた。本当に感謝している」
ベナビデス(30勝0敗、24KO)は、今回のPPV興行で父に託された唯一の息子ではない。WBOウェルター級王者
ブライアン・ノーマン・ジュニア、
デヴィン・ヘイニー、
アブドゥラ・メイソンもまた、タイトルマッチを父とともに迎える。
ノーマン(28勝0敗、22KO)はヘイニー(32勝0敗、15KO)と対戦し、メイソンはWBOライト級王座をかけ、
サム・ノークス(17勝0敗、15KO)との一戦に臨み、史上最年少男子世界王者の座を狙う。
スポーツ一家から始まった物語
メイソンと4人の兄弟たちは、スポーツをして育ったごく普通の家庭であった。
レクリエーションスポーツや総合格闘技に親しむ中、ある日父ヴァリアント・メイソンが「ボクシングをやってみたい者はいるか」と問いかけた。
最初にグローブをつけたのはアブドゥラだった。そして彼は一度も振り返らなかった。ほどなくして兄弟たちも後に続いた。
ヴァリアントはすぐにアブドゥラの可能性に気付いた。一方アブドゥラ自身も、ある練習セッションをきっかけに、この競技が家族をどこへ連れて行けるのかを悟ったという。
「12歳か13歳くらいの頃で、兄弟みんながトレーニングしていた」とメイソンは『ザ・リング・マガジン』に語った。「その日は本当にいい練習で、その時ふと思ったのを覚えている。『もし自分が本気でこうやって兄弟たちと集中して、しっかりいい練習を積んでいったら――そしてこれをずっと続けていくことができたら――自分はこの競技で最高のファイターの一人になれるかもしれない』ってね」
その後メイソンは、この競技で頭角を現すライジングスターとなり、ノークスに勝利すれば、わずか21歳で初の世界タイトルを獲得する可能性がある。父と息子のコンビにとって、家族全員とともにその快挙を成し遂げることは、いっそう特別な意味を持つだろう。
「これが俺の現実で、しっくりくる」とアブドゥラは言った。「何をするにしても、俺たちは一緒にやる。もともとそうあるべきなんだ」
「本当に美しいことだ」と父は言った。「これは“今この瞬間の人生”そのものなんだ。すごく深い瞬間や、歴史的な素晴らしい時間を俺たちは目の当たりにしている。やがて彼らが、自分たちの家族にそれを受け継いでいくことになる。最高だよ」
“罰”から始まった道が無冠から無敵へ
多くのボクサーが偶然この競技にたどり着く。デヴィン・ヘイニーも例外ではなかった。
学校でケンカばかりしていた彼に対し、父ビル・ヘイニーはついに堪忍袋の緒を切った。
「父はこう言ったんだ。『学校でケンカしたいなら、ボクシングジムに連れていくぞ。ボコボコにされてこい。学校でケンカを続けるなら、そのたびにジムへ連れていく』と」とヘイニーは明かす。
彼はすぐにボクシングを好きになったわけではなく、チームスポーツのフットボールのほうが好きだった。ボクシングは“罰”のように感じたという。
しかし成長するにつれ、ボクシングがどこまで自分を連れていけるかが見えてきた。今では、元4団体統一王者であり2階級制覇王者。そして今回、3階級制覇のチャンスを迎えている。
その時も、彼の隣には父が立つ。
「ボクシングは俺にすべてを与えてくれた」とヘイニーは語った。
ベナビデス親子――断絶と再生
6ヶ月間、ベナビデスは“何か”を探し続けていた。フェニックスからマイアミへ移住して以来、父とは一切連絡を取っていなかったのだ。
人生のピースを組み直そうとしていた。全盛期で二度の世界王座奪取を成し遂げていたにもかかわらず、ボクシングを続けるべきかさえわからなくなっていた。
ホセ・シニアにとって、その期間は耐え難いものであった。息子に連絡しても返事はなく、電話もメッセージも残したが反応はゼロ。
「本当に辛かった。だって、彼は俺から離れたがっていたから……。とても悲しかった」と彼(ホセ・シニア)は『ザ・リング・マガジン』に語った。「電話をかけても、スマホを確認しても、何も返ってこない。メッセージを送っても返事はなし。打ちのめされたよ。胸が張り裂けるようだった。ついには諦めた。『やれるだけやった。俺にできるのはそこまでだ。遠くから応援しよう』と思ったんだ」
一方、ベナビデスは、3歳でボクシングを始めた時から常に厳しく接してきた父の存在に疲れを感じていた。
マイアミのジムを転々とした後、
オレクサンドル・ゴズディク戦の準備をする時期が訪れた。それは、彼が新しいトレーナーと新しいチームを必要としていることを意味していた。
やがてベナビデスは、ある“当たり前の結論”にたどり着いた。
「父なしでこの道を進み続けるのは、どうしても気持ちが落ち着かなかった」と彼は語った。「その時気づいたんだ。父を置いてボクシングを続けるくらいなら、ボクシングを辞めたほうがいいって」
そのタイミングで、ホセがスマホを確認すると、息子からの通知が届いていた。二人は話し合い、考えを一致させることができた。
「小さい頃から、俺は彼らに本当に厳しかった」とホセは語る。彼のもう一人の息子でありボクサーでもあるホセ・ジュニアについても同様だという。「本当に強い男に育てたかったが、そのせいで関係が少し壊れた部分もあった。彼らはもう大人なのに、親としてつい、いつまでも子どものように扱ってしまうんだ。だから俺も多くのことを変えないといけなかった。少し引いて、彼らを“男”として見なければならなかった。
その変化を重ねたことで、今まで以上に強い絆で結ばれるようになったんだ」
最後のゴングが鳴るまで
ボクシングはしばしば“もっとも孤独なスポーツ”と呼ばれる。
だが、ベナビデス、ヘイニー、メイソンにとっては、父の存在がその孤独を和らげてくれる。
「父(ヴァリアント)は、俺のコーナーで最も重要な存在だ」とメイソンは言った。「リングの中でも外でも、いつもアドバイスをくれるし、物事に対して違う視点を与えてくれる。トレーニングでも、精神面でも、いつも俺をより良くしようと押し上げてくれる。心から感謝している」
ヘイニーにとっても同じである。
「俺の父は、この旅の一歩一歩をずっと一緒に歩んでくれた」と彼は言う。「良い時も悪い時も、父はいつもそこにいてくれた」
ヘイニーは、父ビルがコーナーにいてくれることは、大きな強みだと考えている。その関係性の深さとダイナミクスゆえに。
「物事が厳しくなった時、あるいは何かを聞かなければならない時、父ほど耳を傾けるべき相手が他にいるだろうか?」と彼は続ける。「多くの息子は、必要な時には父を求めるものだ。じゃあ、命懸けで戦うリングの上で、聞こえる声が父の声である時ほど頼もしい瞬間があるだろうか?」
ベナビデスにとって、これまでの実績はさらに特別な意味を持つ。土曜日の試合は、彼らが共に始め、そして共に終える旅の中で、また一つの大きな成果となるかもしれない。
「俺たちはまだ終わっていない」と彼は言う。「まだ長い道のりが残っている。俺は20歳でスーパーミドル級史上最年少王者になった。家には6本のベルトがあるが、まだあと6本、7本取ることだってできる。統一王者にもなりたいし、クルーザー級にも上がりたい。達成すべきことはまだ山ほどある。仕事はまだ終わっていない。
ほかのトレーナーにその栄光を渡すつもりはない。これは、俺と父が始めた旅なんだ。俺たちはこのまま進み続ける」