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ラス・アンバーのボクシング人生が殿堂入り選出で称えられる
Ring Magazine
コラム
Patrick Connor
Patrick Connor
RingMagazine.com
ラス・アンバーのボクシング人生が殿堂入り選出で称えられる
カナダでおよそ50年にわたりボクシングファンであり続けてきたなら、ラス・アンバーはあなたの人生の一部になっている。

ある時期には、彼はあなたの人生に常に存在していた。ファンとしてであれ、競技者としてであれ、どのようにこのスポーツとかかわってきたとしても、アンバーこそがその中心にいた。世界チャンピオンのコーナーに立ち(彼らを指導したりカットを塞いだり)、国内トップのアマチュア選手を育て、オリンピックを実況し、このスポーツの最新情報を届ける全国放送のボクシング番組を司会し、あなたやあなたのお気に入りのファイターが競技に使う機材を実際に作り上げてきた――そういう存在だった男であり、今もそうである男だ。

その要約ですら、アンバーのこれまでの、そして今なお続くこのスポーツへの貢献を十分に称えるものとは言えない。それを実現する唯一の方法が、彼を国際ボクシング殿堂に祀ることであり、その決定は先週、カナストータからの発表で正式なものとなった

アンバーは、IBHOFに選出される初のカナダ人トレーナーとなり、モントリオール出身者としてはアルトゥロ・ガッティ、ガイ・ジュトラスに続く3人目となる。いずれも、彼がオリンピック・ボクシング・クラブ、のちのサンローラン・ボクシング・クラブでキャリアの端緒を築いていた謙虚な時代に、その周囲にいた人物たちである。 その経歴の幅広さにもかかわらず、アンバーのキャリアのあらゆる側面の根底にあるのはコーチング、あるいはもっと言えば教えることである。

「それは、俺がずっと自分の才能だと感じてきたことなんだ」とアンバーは『ザ・リング・マガジン』に語った。「世の中には、どれだけ教えても教えられない、特定の才能を持って生まれたアスリートがいる。すべての驚異的なアスリートには、普通の人間にはない“何か”が備わっている。残念ながら、俺はアスリートとしてその才能を授かることはなかった。どれほど必死にアスリートになりたいと望んでも、だ。俺がスター選手になることは絶対にないと分かっていた。でも、俺にはある種の“呼びかけ”のようなもの、コーチングを非常に容易にしてくれる何かを感じていたんだ。」

短い3試合のアマチュア経験を経たのち、アンバーがプロトレーナーとしての真の使命に出会ったのは18歳のときだった。ミドル級コンテンダーのヴィニー・カートのコーナーに入り、彼がマルシアーノ・ベルナルディに判定勝ちを収めた試合でのことだった。

若きトレーナー志望としてオリンピック・クラブにいたアンバーは、カートと友情を築き、それは今日まで続いている。そしてエディ・メロ戦に向けたカートのトレーニングキャンプの一員となった。伝説的なモントリオール・フォーラムで行われた試合のメインイベントでコーナーを務めてから2年も経たないうちに、アンバーはクロード・エベールから、文字どおりにも比喩的な意味でもサンローラン・ジムの鍵を託された。20歳にして、アンバーは最初のカナダ王者を手にした。ハワード・グラントである。彼はのちにアンバーが初めてプロの世界チャンピオンに導くことになるオティス・グラントの兄だ。

彼が実際にコーナーに立っていないときでさえ、アンバーは10代でバケツ運びをしていた頃からの半世紀に及ぶジムでの経験を、自身の仕事に生かし続けている。彼が共有する知識も、その伝え方も、その経験に基づいている。

2003年に創設したライバル・ボクシングの新しい機材を作るとき、アンバーが頼りにしているのは、アメリカで合法的に酒を飲める年齢になる前からボクシングジムを運営してきた経験、そしてその過程で何千もの手にバンテージを巻いてきた経験から生まれた知識である。彼がオンエアに出ているとき、つまり6度のオリンピックを実況し、TSNの「In This Corner」のホストを務めていたとき、アンバーは視聴者の耳元にいるトレーナーでもあった。視聴者が見ているファイターが本来何をすべきかを伝え、同時にファンとして画面のどこを評価すべきかを導く存在でもあった。

共通しているのは、常にアンバーだという点だ。彼は生涯をボクシングに捧げ、過去の黄金期と今をつなぐ数少ない存在として、このスポーツのために知恵を提供している。ボクシングをより良くし、安全にし、理解しやすいものにするためである。

「俺に与えられた才能は、コーチングをして物事を分解し、分析し、人々に仕組みを理解させるその能力なんだ」とアンバーは語った。

アンバーの仕事と成功は、彼の故郷の州や国境をはるかに越えて広がり、この世代で最も成功したファイターたちのコーナーに欠かせない存在となった。とりわけ、オレクサンドル・ウシクとワシル・ロマチェンコがその代表である。アンバーのスイスアーミーナイフのように多彩な技能は、コーナーで特に価値を持つ。彼はバンテージ職人にもなれれば、一流のカットマンにもなれるうえ、誰がメインのトレーナーであっても補助的なコーチとして機能することができる。


国際ボクシング殿堂への選出は、その名が示すとおり国際的なレベルでの功績を称えるものだが、同時に、自国でこのスポーツに否定しがたい影響を与えた人物を称える場でもある。アンバーの祖国であるカナダの場合、この国が、そして特にケベック州が、なぜここまで熱狂的にボクシングを支持するのかという問いに答えるとき、アンバーの存在を抜きにすることは不可能だ。

過去数十年にわたりこの国の多くの優れたファイターたちを指導してきたことに加えて、アンバーはボクシングに関して国内で最も重要な思想的リーダーだったと言ってよい存在でもある。1990年代と2000年代の大部分において、カナダの視聴者は恵まれた状況にあった。というのも、全国放送のスポーツネットワークであるTSNがHBOとESPNと契約を結び、両局のペイパービューではない試合を全国で放送していたからである。

さらに、アンバーは故ダレン・ダッチェシェンとともに「In This Corner」のホストを務め、このスポーツを扱う「Inside The Ring」にも似たスタジオ番組を担当していた。番組が放送されていた当時、アンバーはカナダのボクシング界において、ホッケーにおけるドン・チェリーと同じような存在だった。古き良き価値観に根ざしつつテレビ向きのカリスマ性を備え、技術の細部まで教えることのできる人物だった。ボクシングに精通し、理解のあるファンになることは、かつてないほど簡単だった。そして、ボクシングを観て自分でもやってみたいと思ったなら、アンバーがホストを務める「Title Boxing」のDVDがあり、それがやり方を教えてくれた。

「すべてが可能な限り最高のレベルで行われてきた」とアンバーは語った。「カナダだけでなく、このスポーツの歴史の中で、俺がしてきたことすべてを世界クラスのレベルでやり遂げた人間は他にいないと言っても公平だと思う。誇りを持って言えるのは、俺は金を払って殿堂入りしたわけでもなければ、[罵り言葉]によって殿堂入りしたわけでもないということだ。これは純粋な実力だ。政治的な正しさなんて一切ない。少なくとも、自分の功績が正当に評価されたものだと言えることを誇りに思っている。」

アンバーにとって、カナストータの殿堂の壁にガッティやジュトラスと並ぶことは、まさに一つの円が完結するような瞬間だ。アンバーが最初にカートと関わり始めた頃、ガッティは7歳のアマチュアとしてジムでボクシングを始めたばかりだった。年齢を重ね、ケベック州アマチュア代表チームの中心的存在になるにつれて、アンバーはガッティに卓越した技術力を称えて「ザ・プロフェッサー」というニックネームを与えた。二人は2009年にガッティが悲劇的な死を遂げるまで友情を保ち続けた。

94歳となったジュトラスの場合、アンバーは今やキャリアの中で十分な実績と年長者としての立場に達し、1980年代初頭に自分にとってジュトラスがそうであったような、迎え入れる側の長老的存在となった。

「ガイは、俺がボクシングを始めた初日から今も生き残っている唯一の人物なんだ」とアンバーは語った。「ガイは本当に最初の最初から俺と一緒にいて、いつも俺を尊重してくれた。ポール・ソーヴェ・アリーナで試合があったあと、試合が終わると俺たちは通りの向こうにあるボーブアン・デリに行って、座って試合を振り返った。 この男は世界クラスのレフェリーなんだ。その彼が俺と一緒にスモークミートのサンドイッチを食べている。俺はまだ17歳とか18歳のガキだった。彼が『この子はボクシングを分かっている』と言ってくれたのを覚えている。俺は子どもなのに、彼はそんなふうに俺に気を配ってくれた。あの場にいられたことは、俺にとって本当に素晴らしい経験だった。」

アンバーの殿堂入りは、彼がキャリアのいわゆる「継承期」に入る準備ができたことを示すものではまったくない。64歳になった今も、ボクシングにおける頭脳としてのアンバーの評価は、どの分野であれ役立つものであり、これまで以上に高まっていると言ってよい。ライバル・ボクシングも、世界有数のボクシング機材メーカーの一つへと成長している。

しかし、アンバーのキャリアがどれほど実り多いものであったとしても、彼に言わせれば、それは彼が貧困の中で地下室のアパートに住み、地元のレストランから無料の食事をかき集めながら、ファイターを指導し、自分自身も学ぶためにジムにいられる時間と柔軟性を確保していた頃と同じくらい満たされていたということだ。

「兄弟よ、俺は18歳のときからずっとリタイアしているんだ」とアンバーは語った。「人は、好きなことをしたり、バケーションに行くために引退する。でも、これが俺のバケーションなんだ。これは俺にとって一切“仕事”じゃなかった。どれも仕事ではなかった。喜びだった。今俺がしていることは、かつては無料でやっていたことなんだ。今俺がしていることは、かつてはタダどころか、やるために俺が金を払っていたようなことなんだ。そして俺はそれをやっていた。」

アンバーは殿堂入りの盾を受け取り、称賛を受けるにふさわしい人物だが、まだ彼に金時計を渡して引退を促すような段階ではない。
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